日本ではもちろん、海外でも様々な作品で大活躍している真田広之さん。
真田広之さんは自身がプロデュース&主演を務めた作品『SHOGUN 将軍』のエミー賞の受賞後に流ちょうな英語でスピーチして聞きやすい!と話題になっています。
そんな真田広之さんはいつから英語が話せるのでしょうか?調査してみました!
真田広之はいつから英語がペラペラ?
海外で躍されていて今ではアメリカでのトークショーにも通訳なしで出演できる真田広之さんですが、
英語がペラペラになったのは40歳ごろからです。
2002年(42歳)の「たそがれ清兵衛」では英語で丁寧にインタビューに答えている映像があります。
あらかじめ文章をスピーチとは違い、状況によって回答を考えなければならないインタビューをスラスラ英語で答えられているので
この頃には英語はペラペラだったのではないでしょうか。
きっかけはイギリスの舞台
1999年(39歳)に出演したイギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演「リア王」(蜷川幸雄演出)がきっかけで英語を話せるようになったそう。
僕が初めてロイヤルシェイクスピアカンパニーに飛び込んだのが30代後半で、ロスに引っ越したのは45歳の時。まさに“四十の手習い”で英語を始めました。
と過去のインタビューで語っていました。
真田広之さんはそれまでも日常会話程度はできていたそうですが、半年間日本とロンドンを往復しながら5人のコーチに特訓してもらい習得したそう。
そんな「リア王」では日英の文化交流の架け橋としての功績を評価され、名誉大英勲章第五位(MBE)を授与しています。
初めてのイギリスの舞台でしたが、勲章を与えられるなんてすごいですよね!
真田広之の39歳で始めた勉強法3選!
39歳で勉強し始め、今では英語でのスピーチやインタビューをここまで話せるようになるにはどんな勉強法を行ったのでしょうか?
その1:英語を使って芝居をする
真田広之さんは「言葉は筋肉」と語っており、トレーニング(勉強)をして、すぐに実践(撮影)をしているそう。
現場ではダイレクトコーチという方言指導のような方がついてくださるので、コーチのチェックを受けながら演じていくのですが、無料で英語のレッスンが受けられるのはお得かなと(笑)。日頃からレッスンするのも大事ですが、現場で実際に英語を使って芝居をするのが一番の上達方法かもしれませんね
引用:oricon news
と語っている通り、とにかく英語を使ってお芝居をするのが真田広之さんの一番の勉強法のようですね。
その2:プレッシャーを原動力にかえる
「毎日が受験生」と自分にプレッシャーをかけ、英語を習得する原動力にしていたそう。
車の中やトイレの中でも繰り返しセリフを話し、時間があれば英語に触れていたとか。
英語が話せないと撮影が進まないので毎日必死に覚えていたのではないでしょうか。
〔少ないセリフでも誠実に向き合う努力家タイプ〕とも言われており、これまで相当な努力をしてきたのでしょうね!
いくつになってもストイックに勉強する姿はとても尊敬できますね。
その3:ロサンゼルスに移住
真田広之さんは2003年(43歳)でロサンゼルスに拠点を移しています。
やはり生活の中に英語があるというのは、言語を学ぶにはとても大切なのでしょうね。
生活だけでなく、拠点を移したことによって海外の仕事も増え英語に触れる時間も増えたのではないでしょうか!
真田広之は中国語もすごい
2006年公開の中国の映画『PROMISE』では、綺麗な中国語(北京語)のセリフを披露している真田広之さん。
撮影前の3か月日本で特訓して鍛えて撮影に挑んだようです。
初めは中国語の基礎もなく、セリフを丸暗記していたそうですが中国語を話せないと撮影ができない!と火事場の馬鹿力で踏ん張っていたそう。
真田広之さんの話す中国語は中国の人が聞いても違和感がないんだとか!
短時間でそこまで上達するなんて相当努力したことが分かります。
『上海の伯爵夫人』という映画ではロンドンのスタッフと中国のスタッフの通訳もしていたようで、
言語に長けていて本当にかっこいいですね!
まとめ
40歳頃から英語を習得した真田広之さんは英語習得の為に相当努力していたようですね。
真田広之さんは還暦を過ぎても新しい事に挑戦することが楽しいとも語っていました。
これからもいろいろなことに挑戦していってほしいですね!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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